こちらのコンテンツは、マツイヒロキさんがnoteで公開されている、「おわりはじまり」の音声コンテンツを文章化したものです。
おわりはじまり(日常のオワコン考)
〇〇は終わった!それはそれでいいんだけど・・・
あるときは「ブログは終わった!」と言われ、またあるときは「PPCは終わった」とも言われ、「サイトアフィリはオワコン」「情報商材はオワコン」「アフィリエイトはオワコン」などという使われ方をして、これからもいろんな「オワコン」が出てくると思います。
ただ、「〇〇はオワコン」と言って、自分の商売や立場を優位にしようとしている人は必ずいるんですよね。それ自体は否定しないですし、このようなポジションを取ろうとしている人たちについては、それはそれでいいと思います。
問題なのは、それを真に受けてしまう周りの空気
「〇〇はオワコン」と言われて、「え?もう終わりなの?今からやってもダメなの?」と、そのまま受け入れてしまうのは、あまりにも思考停止で危険だと思うんですよね。
「〇〇は終わりだ」と言われて、それを真に受けてしまう人たちの空気が蔓延してしまうことの方が、終わっているな、と感じてしまうわけです。
「オワコン」こそチャンス
じつは「オワコン」と言われているものには、チャンスがいっぱいあるんですよね。
「おわりはじまり」とも言いますけど、「オワコンだー」と世間で騒がれているものを、どうしたら終わりじゃなくなるのか、どうしたらもっと発展させることができるのか、という視点で物事を見た方が、よっぽどチャンスが広がるということを、確信しているからです。
「オワコン」こそチャンス
23歳で新聞社に入社したわけですが、その頃にはもう、「新聞はオワコンだ!」と言われていました。「まいったな~終わった業界に入っちゃったのか」と思ったりもしました。当時から「オワコン」なんて言われていたのに、新聞って、いまだにありますよね。
新聞社に在籍中の10年以上は、「オワコン」と呼ばれている新聞が、どうしたら終わらないのか、ということをずっと考えていました。
当然、新聞そのものだけを見ていたら、終わってしまうので、新聞以外の企画を作らなければいけないと、新聞社に在籍中から、このような経験を積んできました。
「新聞は終わった」と言われていましたが、そこから、新聞そのものは確かに厳しいけど、それに代わる何かを、いろいろ考えていました。
全く別の商品形態であったり、イベントだったり、違う形の情報媒体であったり、そういうことを模索し、商品化して、サービスとして提供するというのを、経験していく中で、「ちっとも終わってない」と。むしろ、「終わりこそチャンスだ」という確信に変わったという経験をサラリーマン時代にしています。
終わりは始まり
終わったもの、終わったといわれているもの、そしてその空気が蔓延すればするほど、みんなが「終わった」と信じ込んでしまいますよね。
でもそこで、「どうしたら終わらないのか」という視点で、物事を考える人というのは、圧倒的に少数派です。だから、そこで何か面白い代案(企画)が立てられたら、それだけで、注目してくれます。
続きの物語は受け入れられてきた
元ネタが「終わった」と言われているものに、続きの物語を作って、実際にいけるかどうかの実証実験をして、企画という形で発表してきたら、「おもしろい」と言って、ほめてくれる人が大勢いました。
元ネタが「終わった」と言われているものを、わざわざ引っ張り出してきて、終わってないよ、というわけですが、終わったといわれているものを、わざわざ題材に企画をやろうなんていう人がいないので、もの珍しくて、「おもしろい」って言われるんですよね。
最後に
「〇〇は終わった!」と言われて、右往左往するのはとても時間がもったいなくて、終わったというなら、なぜ終わっているのか、その元ネタをひっくり返したり、ずらしたりすると、面白いアイデアが生まれるんですよね。
その面白いアイデアを自分でも試してみて、それを発表してみる。これをやっていくと、今まで見たことがないコンテンツなんて、言われるようになるんじゃないかな、と思います。
流行を追うのもいいんですけど、廃りものを見直すというのもいいですよ。